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「人々の暮らしが変わる体験」をもたらす湘南の若き糀職人


【こだわりぬく糀職人】

神奈川県の湘南、茅ヶ崎駅から5分ほど車を走らせると、大きな道路から一本奥に入ったところに、ひっそりとしゃれた糀屋さん「米の花」がある。入り口に置かれた小さな木の看板には、「糀」と書いている。まだ今年4月にオープンしたばかりの、新しい糀屋さんだ。

一見おしゃれで今風のログハウス。実はこの建物は、古来日本の建築工法「石場建て」で作られているのだという。正倉院にも通じる伝統工法で、高温多湿でも通気性が良い。日本の気候の理に適った作りである。地中までつながった基礎はない。力を受け流す構造であり、免震建築なのだ。

この木造建築物は「米の花」の店主がこだわり抜いて、同じ想いを持つ大工さんや職人さんたちと3年かけて一緒に造り上げていった。鎌倉に住む石場建て専門の建築家に設計を依頼した。柱を建てたり壁を塗ったり、屋根は手焼きの瓦を一枚一枚丁寧に葺くなど、すべての部分に魂を込めた。長い施工期間中、ほとんどすべての過程に店主自らの手をもって関わり、ゼロから作り上げたこだわりの工房と店舗なのである。

建物の中には、ちいさなカフェ&イベントスぺース、キッチン、糀室(こうじむろ)、そして米を洗って蒸す小さな空間。外から床下をのぞき込むと反対側まで抜ける空間があり、確かに風通しがよい構造になっている。天然素材100%の土壁に水を吹き付けると、すーっと吸い込まれていく。1平米あたり1リットルの水を吸収するのだそうだ。

「家は自然の一部なんです。空気や水分をシャットアウトするのではなく、水を含んだ空気が入ってきても乾くように、土壁で呼吸するようになっています」と言うのは「米の花」の店主、熊澤弘之さん。

熊澤さんが制作に取り組んだのは家だけではない。米を蒸す巨大な甑(こしき)も半年かけて、小田原の桶屋さんで教わりつつ自ら作った。昔ながらの製法なので、釘を使うことなく杉の木片がお互いに隙間なく押し合うようにぴったりとくっついている。一度に120kgの米を蒸すことができる桶だ。その米をすぐ隣に作った糀室で製麹*1する。室の中にある糀蓋などの道具はすべて熊澤さんの手作りだ。

「僕は命を削って、大工さんたちとこの家を作りました。どうせやるならちゃんとやりたいんです。今時、糀は機械でも生産されています。だからこそ、やるなら中途半端にやるのではなく、持てる力を出し切りたいんです」と言う。

糀づくりは、大量の蒸気を発し、室温も高くなる。その蒸気を逃がし、空気の流れを良くしてちょうどよい気温を保つ環境そのものが必要となる。それを実現したのがこの「米の花」の建物だ。

 

【なぜ糀?】

熊澤さんの祖父母はこの地域の農家だった。15年前に祖父が亡くなり、持っていた農地を住宅に転換するかどうかという問題が浮上した。それが20代半ばだった熊澤さんの人生を大きく変えるきっかけとなった。「僕は子供の頃、祖父母の畑で遊んで育ちました。その頃、この辺りはまだ農地だらけでした。自分が受けたよい体験を次世代に残せないことに申し訳なさを感じたんです」と言う。

考え抜いた結果、当時サラリーマンだった熊澤さんは会社を辞め、祖父の農地を継ぐことにした。「農業を体験してもらえる場所を作りたいと思い、貸し農園を始めました。その後、糀屋に勤める友人から糀を分けてもらい、畑で採れた大豆や小麦を使って味噌や醤油を造り始めたんです。そうやって10年くらい貸農園を運営しましたが、生産量に限界があり、メンバーにしか提供できませんでした。もっと多くの人に体験してもらいたいと思い、また町にひとつ糀屋があってもいいのではないかと、5年前に自ら糀を作る決意をしました」と熊澤さんは言う。

友人から糀を分けてもらっていた当時、熊澤さんは糀づくりの素晴らしさにも次第に気づいていった。味噌や醤油を作るようになると、人々の生活は変わっていったという。それまで作ったことのない人が上手に作れるようになると、人に食べさせたくなり、料理をするようになる。人々の暮らしが明らかに変わるのを目の当たりにした。

「僕はモノを売る糀屋なんじゃなくて、『作ることで暮らしが変わる』という体験を提供する糀屋なんです。」糀を通して、顧客が食や料理を自分ごとにしていく変化を何よりやりがいにしているのが熊澤さんの「経営方針」なのである。だからレシピも平気で顧客に教える。消費者に作り方を教えて、単に消費するだけではなく、消費者自らオリジナルの何かを作ってほしいと願っているからだ。要は、熊澤さん自身が消費者でもある経営者なのだ。

「米の花」の営業は週3日。残りの3日は別の仕事をして生活収入を得ている。まだ店の客足は少ない。しかし、告知のためにソーシャルメディアも使わないし、ましてや広告は一切打たない。「人が人を呼ぶ」形でゆるやかに、でも着実にファンが集まってきているのが現状だ。

若く情熱的な熊澤さんだが、焦りはみじんもない。「忙しくない方がいいんです。(笑)ゆっくりのスタートでいいんです。なぜなら、今は深く潜る時期ですから」と笑う。「軌道に乗ってしまったら、研究する時間がなくなります。この仕事は、手間をかけて長くやっていきたいですし、他の糀屋さんがあまりやっていないこともどんどんやりたいんです」と熊澤さんは言う。日々が糀の研究であり実験の積み重ね。勉強への熱心さも、環境づくりに通じる徹底したこだわりがある。

決して奇をてらっているわけではない。基本をしっかり身につけた上で様々なチャレンジに取り組んでいる。糀の世界は実に深い。わずかな湿度や温度の違いで、出来上がってくる糀の質は全く変わるからだ。教科書通りに正しく作ったからといって、必ずしも美味しい糀ができるわけではない。熊澤さんは3-4種類の種糀をブレンドして使ったり、用途に応じて使い分けている。

「種糀では改良長白*2が好きです。なぜなら香りがとてもいいからです。普通の作り方よりさらに香りを引き出すために、湿度を通常より上げていきます。すると塗り波精*3になり、香りがより立ちます」と熊沢さんは言う。

 

【探求心の成果】

この若き職人の探求心がもたらした糀のセットをテラス席でいただいた。11種類の糀調味料と甘糀、そしてズッキーニの塩糀和えとびわ茶が小さな器に入れられ、お膳にきれいに並んで出てきた。驚いたのはブルーチーズの味がする糀の調味料。これは牛乳と糀と塩をヨーグルトメーカーで発酵させるだけ。コクもあるけれど、さっぱり感もある。ブルーチーズの風味は牛乳由来なのか? パンにも合うし、野菜にも、多分肉類にも合う。粒をブレンダーでつぶしたら、ドレッシングとしても使える。とにかくすべてが美味しい!

4種の甘酒では、小豆が個性的な味で印象に残った。ゆで上がった小豆と生糀を発酵させるとこんな味になるのか! これは誰でもすぐにできる。ほかにもおからで作った三日味噌やひしお、大麦の甘酒など、試行錯誤を経て実現したアイデアが赤いお膳の上に勢ぞろいしていた。どれも、シンプルだけどこだわりが沁みてくる味わいだ。糀好きであろうとなかろうと、美味しさは人を惹きつける共通言語なのだ。

「同じ菌で作った糀でも船*4の中の位置によって状態が違います。目と香りでも確かめますが、作った糀はすべて顕微鏡で写真を撮って記録を残しているんです。ログに残して、課題を一つ一つつぶしていっています」と熊澤さん。実験し、確かめてというプロセスを繰り返す。この研究熱心さには確かに、労力だけではなく、時間も要する。だから忙しすぎてはいけないと彼は言ったのだ。

「今はお金をいただいて修行させてもらっている時期なんです。僕は糀づくりを死ぬまでやる仕事だと思って始めました。だから焦る必要はないんです。とはいえ毎日、余命1年と思って全力で取り組んでいます」と言う。

3カ月で建てなければならない家や数時間で作らなければならない調味料、そしてそれを大量に売らなければならない経済圏とは異なる世界に「米の花」は在るようだ。人間都合ではなく、糀都合、菌都合で出来上がる商品。生産量はまだ少ないけれど、すべてが必要とされて作り出されている。

テラス席に座り、手作りの甘酒を味わいながら茅ヶ崎の風を感じていると、急ぐ心をきれいさっぱり忘れさせてもらえるかのようだ。それは、「糀時間」とでもいうのだろうか。同じ24時間なのに、もっとゆったりと流れているかのようなリズムなのだ。近年、茅ヶ崎も急速に住宅化が進み、以前の緑豊かな風景は変わってしまった。新しい建物、住宅が並んでいる。「米の花」はその住宅地の中の、今もまだわずかに残る緑の畑とともにぽつんと物静かに、でもしっかりと佇んでいる。

【店舗情報】

  • 営業日:火曜、木曜、土曜の10:00AM から17:00PM。

  • 住所:神奈川県茅ケ崎市矢畑201

<注>

*1:製麹…蒸米に糀菌を植え、糀室で培養すること。

*2:改良長白…300年の歴史を持つ京都の種麹屋さん「菱六」が製造販売する糀菌。酵素力のバランスが良く、香りに特徴がある。

*3:塗り波精(はぜ)…糀菌の菌糸が繁殖し、蒸米に喰い込んだように見える状態を波精(はぜ)という。塗り波精とは、米糀の表面に菌糸は廻っているが、喰い込み方(=破精込み)が浅い糀のこと。

*4:船…蒸した米に糀菌を混ぜる際に使う大きな木箱。その後、発酵時に発する熱を分散させ、温度を安定させるために使う小さな木箱は糀蓋(こうじぶだ)あるいは、もろ蓋という。

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