台北で本格的な日本の米糀作りを伝える発酵職人
日本での経験を活かし、200人以上の台湾の生徒に伝授
【台北で糀職人を訪ねる】
台北で日本の糀を作っている人がいるという。台北市内から車で40分ほど移動した住宅街に糀づくり職人、蔡仁祟さんの自宅はあった。外からはごく普通のマンション。ここで糀を作っているだなんて、全くわからない。
ビルの最上階に位置する広い部屋を通り、屋上まで案内される途中に、大きな水槽と麹室があった。Facebookで何度も見た風景だ。これらの施設は部屋を改装して、作られている。
蔡さんは台湾人。奥さんと一緒にこのマンションに住んでいる。ここで日本の米糀を13年前から作っているという。なぜここで日本の米糀を作っているのか?台湾にも麹はあるはずなのに、、、。
「16年前、日本の友人から、仕事があるから九州に来ないかと言われて行きました。その仕事が米糀の工房だったのです」と蔡さんは言う。 宮崎県にあった米糀の製造現場で1年アルバイトとして雇われ修行した。洗米から米の蒸し方、種麹糀の散布、温度と湿度の管理、そして発酵まで仕事として学んだ。そのあと広島の醤油工場に移り、ここでも1年間日本の醤油作りを学んだ。これも仕事として、働きながら技術を身につけたという。最後は京都の種糀屋で働いた。3年間日本で糀関係の仕事をオンザジョブで身に着けた。その後、台北に戻った蔡さんは、日本で学んだ米糀作りの技術を10年以上、台湾で活かしている。
それにしても、種糀まで学んでいたなんて! 種糀がないと糀はできない。すると甘酒や塩糀はもちろん、味噌や醤油、みりんなどの発酵調味料もそもそも作れないわけだ。米糀は蒸した米に糀菌を散布し、混ぜながら60-70時間程度、菌を繁殖させて作る。顕微鏡で見ると、米の周りに花が咲いたような形になるので「糀」という字を日本人が作り出したという説がある。だから米糀は日本独自の菌なのである。一方、麹と書く麦に由来する麹は大陸からやって来た。現在日本では、この二つの漢字は特に区別されずに使っているが、歴史的背景は異なる。
訪れた日、蔡さんご夫妻は大歓迎してくださり、広々とした屋上へ招いてくれた。そこで奥様が独自にブレンドした味わい深いコーヒーを淹れてくださった。友人が手作りして差し入れてくれたという美味しいケーキも出してくださった。続いて、テーブルを移動し、蔡さん手作りの発酵食材の試食が始まった!
【塩糀で台湾野菜を試食】
まずは米糀と玄米糀で作った塩糀2種類。蓋を開けて香りをかいだ瞬間から、日本の塩糀と同じ香り。「美味しいに違いない!」と思った。さっぱりとした台湾の緑の茹で野菜にこれらの塩糀をつけて食べてみる。美味しい!塩味と調和して、糀独特の甘みがしっかりと出ている。「この塩糀も私が作りました」と蔡さん。玄米の方も、玄米の味がしっかり残っていながら、丸みのある美味しい塩糀。茹でた葉物野菜にぴったりの味だった。
台北の住宅街を見わたす屋上で、まさか米糀で作ったこんなに美味しい塩糀で台湾野菜を食べるとは!! 1年前には想像さえもしなかったことだ。人生は不思議なご縁に満ちている。蔡さんは、職人気質だがにこやかで、穏やかな人柄が伝わってくる人物だ。人の話に非常によく耳を傾けるタイプ。限られた時間ではあったが、どんな質問をしても正面から答えてくれた。一方、奥様は楽しく明るい性格だ。食べ物を運んできてくれたり、お茶を淹れてくれたり、動き回って私たちを歓待してくれた。長い間、普通の友だちだった末に結婚されたのだそうだ。
続いて甘糀。「お酒じゃないのに、なぜ甘酒っていうのかしらね(笑)」と奥さんが微笑む。「混乱しますよね。なので、私はいつも甘糀と呼ぶようにしています」と伝えた。 米糀甘酒が数年前からブームになって以来、日本ではかなり知られるようにはなったが、まだ酒粕から作られる砂糖とアルコール入りの「甘酒」と、米糀から作られる砂糖なしなのにブドウ糖の甘さがしっかり感じられるヘルシードリンクの「甘酒」にはそれぞれ異なる歴史がある。 米糀甘酒はそもそも江戸時代に作り出されたエナジードリンクだったのだ。明治時代に作られるようになった酒粕甘酒の方が歴史は浅い。二つの甘酒は日本でもややこしいので、個人的には「甘糀」と呼ぶことにしている。 蔡さんのお宅で試食させていただいた甘糀は、非常に白くて糖度が高かった。糀の質が低いと、甘糀は甘くならない。人工的なものを何も加えていないから、いい糀だけが甘さを醸し出すことができるのだ。ひと口いただいた瞬間に、「ああ、美味しい!」と言える甘糀だった。
【オリジナルの筍のお漬物が非常に美味!!】
これで終わらない。次はお漬物。奈良漬も作ったという。とてもフルーティーな香りと味がして、美味しく食べやすかった。しかしすごかったのは筍のお漬物。台湾の筍は柔らかい。
これを茹でて薄くスライスして乳酸菌を加え、漬物状にした「筍ピクルス」をいただいた。これは蔡さんのオリジナル。柔らかな筍にお酢を薄めたようなさっぱりした酸味が染み込んでいる。これがまた美味しい。筍の漬物は初めて食べた。「どうやって思いついたんですか?」と聞くと、「台湾では筍が安いから使ってみたんですよ(笑)」と蔡さんは笑う。
どう食べたら美味しいだろうと思っていたところに、この筍ピクルスを使ったスープが出てきた。透明のスープは、鶏肉をこの漬物の漬け汁でよく煮て少し塩を加えただけ。とても健康的だ。スープもほのかに酸っぱいが、発酵の旨味が非常に濃厚。さっぱりしていて、暑い台湾にはぴったりの一品だ。醤油を加えても美味しいし、解き卵を落としても美味しくなるはず!あとからまた欲しくなるような、記憶に残るスープだった。
【手作りの生揚げ醤油が味わい深い!】
まだまだ続く試食会! この次に出していただいたのは手作りのお醤油。蔡さんは醤油まで自分で作っている。醤油の原料は、大豆と小麦粉で作った醤油糀と塩水。これを混ぜて発酵させると醪(もろみ)ができる。この醪をさらに寝かせて絞ったものが「生揚げ醤油」と呼ばれる非加熱の、生の醤油だ。通常市場に出される醤油は、生揚げに火入れをして瓶詰めされてから出荷される。
蔡さんのお宅の醤油は火入れをしていない、つまりまだいい菌がいっぱい元気に生きている醤油。生は貴重なのだ! これをまず舐めてみる。香りが何とも言えないほど豊潤で、何度も舐めたくなるいい味が出ていた。
「これ、売らないんですか?」と聞いてみた。「台湾の醤油は、発酵期間は半年なのに対し、日本の醤油は最短でも1年半。長すぎるので、商品化したいという人があまりいません。しかも手間がかかるほど高くなるので流通に乗せられないんです」と蔡さん。大量には作れない。けれども、高付加価値の特選品として百貨店などで限定販売すれば売れるんじゃないかな?などとも思った。
その生揚げ醤油をたっぷりバニラアイスにかけたデザートが最後に出された。最近このデザートは、日本では一般的にも知られるようになったが、台湾ではまだ知る人ぞ知る食べ方。
アイスクリームには生の醤油が一番おいしい。一緒に行った台湾の友人は「この組み合わせは食べたことがない! とても美味しい! 美味しい!」を繰り返していた。
部屋を改造して作った麹室には、豆麹や麦麹も作られていた。ちらりと見せていただいたが、どれもきれいに全体に菌が広がっている様子。全部で20ケースくらいあるだろうか。発酵中の様々な麹をすべて毎日、一人で管理している。
【糀づくりで人のつながりを広げる】
蔡さんは現在、台北市で230名上の生徒さんに糀づくりを教えている。この数には、台湾人だけでなく、台北に住むシンガポール人やマレーシア人も含まれる。4年前から先生を始めて、次第に生徒さんは口コミで増えていったという。
「糀の作り方だけを教えています。料理は教えません(笑)」と蔡さん。非常に多くの生徒さんから慕われていることはすぐに分かった。その翌日、台北市内で行う私たちのイベントの告知をすぐにFacebookで広げてくださり、更に申し込みが増えたからだ。また、ソーシャルメディアの私たちのアカウントは台湾の見知らぬ人から急にフォロー数が増えた。アップした内容に蔡さんが登場したからだ。
「私の一番の楽しみは、こうやって友達を増やし楽しい時を過ごすことです」と蔡さんは言う。
「日本から来てくれた友達を増やせるのは嬉しい。こういう糀を通じた交流を、私も妻も大事にしていきたいのです。」
Story & Photos by Diane
【後記】
蔡さんを訪れたこの日、イベント用の生糀、塩糀、甘糀、醤油をすべてプレゼントして下さいました。翌日と翌々日のイベントでそれらを使わせていただいたところ、参加者の皆さんから、蔡さんが作ったすべての種類の糀が絶賛され、「どこで買えるのですか?」という質問が殺到しました。醤油アイスクリームも皆さんとても喜んでくださいました。蔡さん、本当にありがとうございました。
写真は5月10-11日に台北市内で開催した「糀のワークショップの」の様子。右は塩糀づくりの準備に勤しむスタッフ。